GOTO-ONO Research Group
Department of chemistry
Tokyo Institute of Technology
生体反応活性種の安定化
生体反応のメカニズムを解明するためには、様々な解析手段を適用できる人工系でのモデル研究により、反応中間体の構造および反応性について分子レベルの情報を得ることが必要不可欠である。しかし、生体内では安定に存在して生理作用を及ぼす反応中間体が、人工系では極めて不安定であるためにモデル系を構築することができない場合が多くある。たとえば、生体内では数十時間も安定に存在し、重要な生理作用を及ぼしている化学種が、人工系では最長でもミリ秒オーダーの寿命しかもたない例などが知られている。従来ブラックボックスであったそれらのメカニズムを明らかにするためには、これまでの「非常識」を「常識」に変える革新的な人工モデル系を構築する必要がある。当研究室では、この目的を達成するために、巨大ホスト分子の内部空間を活性な官能基の反応空間として活用するという独自の発想に基づき、ナノメートルサイズの空孔内に官能基を固定したボウル型分子を開発した。それにより、通常過渡的にしか生成できない種々の生体反応中間体を安定な化合物として合成・単離し、従来検証が困難であったそれらの構造および反応性を実験的に明らかにすることに成功した。
ボウル型分子は、高反応性化学種の多量化や自己縮合を効果的に抑制する一方で、基質分子に対する反応性は損なわないという優れた特質をもつ。目的とする化学種に応じて設計した種々のボウル型分子を活用することにより、スルフェン酸(RSOH)およびセレネン酸(RSeOH)など、生体反応の重要な中間体として注目を集めていながら人工系での合成が困難であった様々な化学種の合成に成功した。中でもセレネン酸は、人体を過酸化物から防御するグルタチオンペルオキシダーゼ(GPx)の触媒サイクル中間体として注目を集めている化学種であり、これまで多くの研究者が様々な手法により合成を目指してきたが単離には至っていなかった。我々は独自に開発したボウル型分子キャビティを活用することにより、安定なセレネン酸の合成・単離に初めて成功した。また、ボウル型セレネン酸を活用して、GPxの触媒サイクルとして提案されているすべての反応素過程を初めて実験的に証明した。さらに、GPxと活性窒素種との相互作用により生成すると提唱されていながら、これまで化学種の存在自体が確認されていなかったSe-ニトロソセレノール(RSeNO)の合成にも成功した。ボウル型分子の発展形として開発したデンドリマー型分子を活用することで、提唱されているGPxと活性窒素種の反応と同様のプロセスにより、Se-ニトロソセレノールを合成し、結晶構造を明らかにした。この化合物は特徴的なスペクトル的性質を有しており、今後生体内でこの化学種を探索・同定するための手がかりになることが期待される。甲状腺ホルモン活性化酵素の触媒サイクルについても、活性中間体であるヨウ化セレネニル(RSeI)を合成し、広く提唱されていながら仮説の域に留まっていた反応素過程を実証している。他にもS-ニトロソチオール(RSNO)、ヨウ化スルフェニル(RSI)など、種々の生体反応中間体の安定化に成功しているが、設計に際して意図したとおり、得られた化合物は高い安定性を示しながら、適当な基質分子に対しては十分な反応性をもつことが明らかになっている。
総説:有機合成化学協会誌, 2005, 63, 1157–1170.
ファインケミカル, 2009, 38, 27–36.